水瓶座の時代にいる「昭和の人」
2024.03.11
最近、「満月珈琲店の星詠み」という
小説シリーズをとても氣に入っていて、
楽しみに読んでいます。
満月にしか開店しない珈琲店の
マスターが三毛猫、という、
とってもチャーミングでありながら、
ほっこりホロリと心温まる、
素敵なお話です。
この本の中で
「水瓶座の時代」
「風の時代」
という言葉がよく出てくるのですが、
なんだか、私にとっては
すでに過ぎた昔のような印象の言葉で、
「そういえば、そんなこともあったなぁ」
と思いつつ、
「いやいや、今その時代だから!」
と、心の中で突っ込んでいます。
というのも、
スピリチュアル好きだった私は
90年代から水瓶座の時代を楽しみにしていて、
「水瓶座の時代が来るぞ!」
とワクワクとしていたのですが、
いざ、水瓶座の時代に入っても、
いろいろな変化はあったとはいえ、
これと言って、
確かな水瓶座の時代の象徴
みたいなものを感じられず、
なんとなく自分の中では、
「そんな話もあったなぁ」
という扱いにしてしまっていたのです。
それで改めて、
水瓶座の時代、
風の時代、
について考えてみた時に、
そうか、私自身が
未だに魚座の時代の価値観を
引きずっているから、
時代は進んでいるのに、
前に進んでいないような、
そんな錯覚をしてしまうんだ、
と氣づいたのです。
それは、娘と話している時にも、
自分がずれていることに氣づかされます。
水瓶座の時代に生まれた子供たちは
すでに水瓶座の価値観を
持って生まれているのですよね。
今、「不適切にも程がある」
というドラマが人氣のようで、
令和の価値観と昭和の価値観の
食い違いがテーマのようですが、
あんな感じですね。
(まだ観ていないのですが)
時代は令和にいるのに
昭和の価値観を持ち出している。
それと一緒で
水瓶座の時代なのに、
未だに魚座の価値観を持ち出している、
というところが私には多々ある、
ということに氣づきました。
これって私のほかにも、
昭和生まれの方に
多いのではないかな、と思います。
いえ、とても多いのではないかな、
と思います。
それで、その考え方で
子育てをしていると、
親子の価値観のズレも生じますし、
子どもの可能性を
つぶしてしまうことにもなりかねない
と思いますし、
何より、その考え方では
水瓶座の時代を上手に生きられないかも
しれません。